手を繋いでいよう / keroxp with 初音ミク

Опубликовано: 17 Июль 2026
на канале: keroxpチャンネル
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大晦日の夜皆様いかがお過ごしでしょうかkeroxpです。また曲を作りました。歌いたくなる曲を作りたかったので、歌いたくなったら幸いです。
来年はもう少し歌を頑張ろうと思います。ミクさん毎曲ありがとう。それでは良いお年を。

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【歌詞】

手を繋いでいよう

Oh wow …

振り向いた先に消える今を 閉じ込めるすべを知らなかった
当たり前と笑う雨に打たれて 凍えないように耳を塞いだ

傾けた針が示す方へ 歩けるか 未だ霧は晴れず
亡くしてきた愛の欠片を数え 足りぬ指を見つめ祈った

陽はどこに差すのか 死に絶えた影の中
君はどこにいるのか 温もりはかつてのまま

忘れないよ君に触れた日のこと 戻れないとなお知りながらも
夢が覚めてまた巡り合うときは 離れないように手を繋いでいよう
 
Oh wow … 手を繋いでいよう   

俯いたままで見える空が 変わらないことに気づけなかった
細めた目で切り取った世界から 悲しみだけ拾い集めた

残された痛みが消えぬままで 笑えるか未だ傷は癒えず
聞こえていた胸の軋む音さえ かき消すように声を荒げた

星は何を見るのか 人絶えた夜の中
痛む肺の奥から 絞りでた愛の歌

伝えたいよ僕が生きている今 この世界を染める寂しさを
見つめ合って眠りに落ちる前に ほどけないように手を繋いでいよう

Oh wow … 手を繋いでいよう

消えかけていく君の姿形が 薄れないように目を塞いでいた
果たせないと決めつけた約束に 応えたいよ歌え愛の歌

手を離すよ君を忘れないため 歩き出すよ Because our lives go on
進めないと萎える心抱きしめ 恐れないで手を繋いでいこう

Oh wow .. 手を繋いでいこう

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こういう曲を作っておいて何なのだが僕はあまり人と手を繋いだという記憶がない。老若男女問わず人の手を握った、または握られたという強い記憶がない。別に特別不幸で寂しい人生を送ってきたわけではないが、とにかく手を繋ぐという行為について強いエピソードというものを持ち合わせていない。子供の頃は母親に手を引いてもらってどこかに出かけたのだろうし、恋人らしきものがいたときはデートのときに繋いだことがあるような気もする。友人と手を握った経験はほぼないと思う。僕は手を繋ぐという行為について考えると、あまり前向きなものではないという印象を受けてしまう。というのも、実際に手を繋いだままでは別々の目的地に行くことが出来ないし、起きている間も寝ている間もずっと手を繋いでいるわけにはいかないからだ。にも関わらず手を繋ぐという行為はセックスと並んでどんな人間関係よりも個人間の営為として特別視されているような気がして、僕はあまりポジティブに捉えることができない。欧米では礼として握手をすることが一般的な儀礼だが、これはすぐ離すことを前提としているから手を繋ぐ行為とは言い難い。むしろ手に触れるという行為と言えるだろう。儀礼として肌を触れ合わせるという行為は世界的にも色々なバリエーションが見られるが、長い時間肌を密着させておくという行為は、成人した大人同士としてはあまり自然な行為ではないように思う。にもかかわらず僕も含めて多くの人間が手を繋ぐという行為に映像的な意味を感じてしまうのは少し不思議である。手を繋ぐ/離すという行為は、それ自体が人間の心の距離を表しているようで分かりやすいのだが。だけど心の距離ってなんですか。それはそんなに分かりやすく数値化できるものなんですか。繋いでいれば一番近づいて、離してしまったら切れてしまう、そんなものでいいんですか。しらんけど。僕は思うのだけど、人の行動や文化の多くは手とその指から生み出されていて、脳と同じく人間が他の動物と比べて圧倒的に優れているのが手だ。手と頭を使うことは人間らしい営みをする上で切っても来れない関係である。だから、手を繋ぐ/離すという言葉は、物理的なものに限らず、様々な人間の営みが、触れたり離れたりして、絡まり合って前に進んでいるというメタファーとして捉えたいなと思っている。ていうかこんなところまで読むなよ、暇人かあんた。感謝します。では。