中川一郎

Опубликовано: 02 Ноябрь 2024
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中川一郎, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2... / CC BY SA 3.0

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中川 一郎(なかがわ いちろう、1925年(大正14年)3月9日 - 1983年(昭和58年)1月9日)は、日本の政治家。
衆議院議員。
自由民主党の派閥・中川派の領袖。
正三位勲一等。
農林大臣(第49代)、農林水産大臣(初代)、科学技術庁長官(第35代)、原子力委員会委員長(第35代)。
「北海のヒグマ」と呼ばれ、タカ派議員として知られていた。
財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融担当)などを務めた中川昭一は長男。
参議院議員を務めた中川義雄は実弟。
北海道広尾郡広尾町に農業・中川文蔵、セイの長男として生まれた。
祖父・五八郎の時代に富山県福光町から北海道の広尾郡広尾村にある山奥の開拓地に移住した農民の出である。
出身地の広尾について、政治評論家の今井久夫によれば、「なにしろ広尾というところは北海道の中央を北から南に貫く日高山脈が太平洋に没するその海岸線の北に位置する小さな部落である。馬が生きながらクマに喰われるところであった。人々はその馬の泣き声を何度も聞いた。」という。
父・文蔵は14歳の時に北海道に渡り、道東の僻地を選んで開拓に従事した。
母セイは山形県出身。
子だくさんの文蔵とセイは一生懸命働き、一郎は両親からの北国の血が流れている10人の兄弟姉妹の長男とされているが、実際の長男の竜太郎は生まれて間もなく、いろりの火にころがり落ちて焼死し、長女のミヨも夭折、姉の節子、敏子のあとに生まれた男児のため、一郎と名付けられ、“長男扱い”された。
小学校2年生の時、父・文蔵は開拓地を離れて町なかに住み、雑貨商兼家畜商に転じた。
学校での得意な科目は一貫して算数・数学であった。
豊似小学校時代の一郎は、小柄でおとなしかった。
学校では勉強に精を出し、家に帰っては両親を助けて野良仕事に励んだ。
一郎の筋骨たくましい身体は、小さい時からの労働の名残である。
北海道庁立十勝農業学校、宇都宮高等農林学校(現在の宇都宮大学農学部)を経て1947年(昭和22年)9月九州帝国大学農学部農業土木科卒業。
農林省の役人を志望していたが、東京にいたのではメシが食えないと懸念し、志願して北海道庁に入った。
当初は家業を継ぐ予定だったが、広尾町会議員に出世した文蔵が北海道庁に陳情に出かけた際、ろくに相手にもされなかった口惜しさから、「お前は役人になれ」と言われ、両親思いの一郎は父の命ずるまま地方役人になった。
中川が北海道に戻った時、北海道は社会党の天下であり革新系の田中敏文が社会党に担がれて北海道知事に当選した。
中川は可愛がってくれた教授が書いた紹介状を持参して、九州大の先輩にあたる田中の下を訪れたが、来客が多くなかなか面会しようとしない田中にしびれを切らし、紹介状を焼いてしまった。
1951年(昭和26年)、北海道開発庁が設置され、開発担当官となる。
昭和28年(1953年)大野伴睦北海道開発庁長官の秘書官を務め、大野に見出されることとなる。
大野長官はわずか7ヶ月の在職で、自民党総務会長に転じた。
後任の長官は緒方竹虎で、副総理との兼務であった。
中川はそのまま、緒方長官のもとでも秘書官を務め、第5次吉田内閣総辞職のあと、開発庁の開発専門官に異動させられた。
大野は1959年(昭和34年)、中川に「役人を辞めて俺の秘書になれ」と要請した。
父・文蔵は大反対したが、大野に惚れ込んだ中川は12年間の役人生活に別れを告げ、身分の不安定な政治家秘書になる決意をしたが、文蔵は「こんな馬鹿な息子とは思わなかった。まあ交通事故で死んだと思って諦めるから、おまえの好き勝手にしろ」と突き放した。
1963年(昭和38年)、大野の勧めで旧北海道5区から第30回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・田中六助・伊東正義・藤尾正行・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮・三原朝雄など)。
初代の後援会会長は幕別町の吉田菊太郎である。
1970年、佐藤栄作・田中角栄両首相から大蔵政務次官に任命される。
1973年(昭和48年)には渡辺美智雄、石原慎太郎らと「青嵐会」を結成、若手タカ派として名を売った。
福田赳夫に私淑し、後年は福田と政治行動を共にする。
1977年(昭和52年)に福田赳夫内閣を自民党国民運動本部長として支え、保守派の活動を通じて親交のあった作曲家黛敏郎に新たに立ち上げる...