福島第一原発から2キロ余りの場所で育った山下詠一さん(1975年生まれ。仮名)のお話を続けます。
今回は車内でのインタビュー。
2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、どこで何をしていたのか。
双葉町には戻れたのか。
原発事故による避難で大混乱のなか、ご家族とは再会できたのか。
自分の家に戻れたのか。
それはいつなのか。
自分の家が汚染土の埋め立て地になると知ったのはいつか。
どう思ったのか。
いろいろ驚く話も語られます。
小学生のころから、原発や東京電力が自分の暮らしの身近にあったこと。
「原子力明るい未来のエネルギー」というアーチになったスローガンを考えたのは中学校の同級生だったこと。
写真や地図、チャートを盛り込んで立体的なインタビュー動画にしました。
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公共性と事態の深刻さを考えて、今回も無料で公開しました。
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ウガヤヒロミチ
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